厭世のコラージュ
人間にとって最も善いことは生まれてこないこと。次に善いことは早く死ぬこと。
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おれは気に食わない
 自分と異なる論に異議申し立てをしたくなるのは素朴な感情である。とくにブログにおいては誰もが対等であるとの認識が強いため、異議申し立てをするのはたやすい。

 そうした異議申し立ては、自説に説得力を持たせるために一定の論理をまぶして展開される。しかし論理とは議論の道筋でしかなく、すなわち論理的に導いた一定の結論が「正」となるものでは必ずしもない。

 議論とはなにか。議論とは、皆が了解できる一定の結論を出すことが第一義ではなく、意見を述べ合い、問題を吟味、整理することだろう。

 これを理解せぬ議論好きは多い。議論好きとは云っても“議論が得意でも慣れてもいない者”である場合がほとんどである。であるのだからして、すっかり逆上し歯止めが利かなくなり、相手を執拗に非難、罵倒することにのみ汲々とするのがオチである。それが一度二度では収まらず、いつまでも根に持つ者も少なくない。

 そうした「単なる議論好き」が無名ブロガーに対して議論もどきをふっかける例がことのほか多く見られる。その手法は針小棒大と錬金術によるが、それが誰に何の利益があるのかを私は知らない。利益があるとするならば功名心か、卑猥な自尊心を充足させるためか。

 社会的影響力もない無名ブロガーへの執拗なそれはストーカーに似た偏執狂と云えよう。自らの理知の考え得ぬことは真実ではありえない、という何ら裏づけの無い確信を得ていることが始末を悪くしている。自ら感覚的迷妄の囚人と堕する愚。己が尾を敵とみて追いかけ回すイヌの姿にも似て嗤う。

 この囚人がいかに高級な論理を持ち出したところで、「おれは気に食わない」という“論理”にのみ帰結するが必死。それが穏やかな疑問形式を装うとも。

 無名ブロガーへ「おれは気に食わない」を執拗に云いつづけるを生き甲斐とするような感覚的迷妄の囚人はブログをやめた方がよい。もしくは、いっそ小さく死ねばよい。泣き真似くらいしてあげる。

 余談だが、議論を「ディベート」と云い換える者が少なくないが、これは無知も甚だしい。
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かつての公明正大
 国民新党を抱え込んでの多数派工作に失敗した小沢民主党。それでもこのまま行けば来たる総選挙で自民・公明が過半数割れする可能性は充分にある。その場合、民主党が単独過半数を得られるかどうかが焦点のひとつ。

 実のところ国民新党が民主党と合流することに一抹の期待を感じたものだ。いくら少数党とはいえ、合流したとはいえ(いやしてないが)、「元」国民新党から入閣させるくらいのことは小沢もするだろう。

 それが誰で、ポストはどこか。一抹の期待を抱いたのは、亀井静香の法務大臣就任だ。「国家による報復殺人の代理」でしかない現行死刑制度などまったくの無意味であることはさんざ述べて来たので繰り返さないが、死刑廃止議連会長の亀井が法務大臣となることは死刑制度廃止へ向けた大きな一歩となるだろう。

 ──という夢想は終えて、その亀井である。23日、塩尻市の公演で「『矢野絢也元公明党委員長の証人喚問が〈嫌だ〉と言って、(喚問をやめることを条件に)国民新党への選挙応援を持ち掛けてきている』と暴露」した(24日『毎日』朝刊)。

 公明党が矢野証人喚問をそれほどまでに嫌がっている証左。ならば何が何でも実現すべく野党にはリキんで欲しいもの。矢野は腹を括ってますぞ。

 仏などではカルトと認定されている創価学会を支持母体にもつ、このショウジョウバエがごとき公明党は、一方で自民党に見切りをつける算段もあるのだろう。

 政局としては正しい。小泉郵政選挙では大勝した自民党だが、その実「学会票」がなければ危うかった選挙区は少なくない。学会票は大きなエサとなる、はず。

 さてどこに次の愛人を見つけるかだが、太田昭宏を潰しにかかる小沢民主党とは愛撫できぬ。ならば国民新党とネンゴロに。

 しかし、話しを持ちかけた相手が悪かった。「『次期衆院選で国民新党の亀井久興、糸川正晃両衆院議員を応援するとの話しが来た』」(同『毎日』)とまでバラされては。

 平和の党もむかし話し。自公連立によって強行された悪法の数々。その責任はどこにあるのか。公明党も沈むがよい。いや、お人好しな学会員がいるかぎりは。
アンサー


それが答えだエンヤコラ明日へ大爆笑。
試験台


きよし33歳。若い。
自由(歌詞)
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