厭世のコラージュ
人間にとって最も善いことは生まれてこないこと。次に善いことは早く死ぬこと。
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微笑がえし
 春は別れの季節です。みなさま、ご機嫌いかがでしょうか。

 2007年11月から始めた「厭世のコラージュ」ですけれど、思うところありまして、本ブログの更新はこれで最後と致します。

 倒幕派のクーデター(革命にあらず)によって天皇が復位してからの日本は、脱亜入欧をスローガンとし近代化を押し進めてまいりました。本ブログを終了することは、あるいは当時すでに予見されていたことかも知れません。

 そうした現況において、道徳を記述的なものとみなすか、規範的なものとみなすか。目的論的か義務論的か。むしろ学校にコンドームの自動販売機を設置することこそが現実に則していると云えましょう。

 もはや絶滅危惧種の天皇一家ならば、種の保存の観点から年間70億円もの生活保護費を与えてやらねばなぬことはひとつの理由になりそうです。なるほど、流行りの武士道精神からすれば、「ぽんぽん痛いのー」と総理大臣の職を辞した安倍晋三は腹を切って死ぬべきであることに疑いはありません。

 一方で、再放送ばかり流してるクセに訴訟を起こしてでも受信料を取ろうとする日放協の姑息さには辟易させられます。また、常に他者と相対しなければオノレの存在理由すら確認できない者がいるのも事実でありましょう。それは、箸がマトモに使えない成人日本人は死刑にせよ、という主張に一定の論拠を与えてもいます。

 日本人は果たして、「今日は安全日なの」という甘言が、実は巧妙に仕組まれた罠であることを充分に理解できているのでしょうか。近年のアイドルは皆O脚であることを指摘したニーチェですら、御寮さんに厳しく問いつめられた果てに「旦さんは、ココには居てまへん」と押入れの前に立ってしまったという現実を、私たちは重く受け取らねばなりません。

 さて、神は死んでいます。登山家の多くが「山を征服する」ことを主題としていた中で、長谷川恒夫は「山の機嫌がいい時に登らせてもらうのだ」と述べました。そこにこそ日本のゆかしき男色文化が見て取れるではありませんか。弘法も筆の誤りとはよく云ったものですね。

 では、すべてのクズどもよ、さようなら。
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幼稚な作文
 もはや一億総ブロガーの時代だが、有名人無名人を問わず幼稚な文章を平気で書く者を見るにつけ、日本の戦後教育はやはり間違っていたと思わざるを得ない。

 日本人だから日本語が出来て当たり前、という思い込みによって、日本人でありながら日本語の不自由な者は実に多く存在する。

 文章を幼稚にさせる最大の原因は読点の打ち方にみられる。個人的な、それこそ就寝前に枕元でしたためる類いの日記であればよいだろう。

 しかし他者に見せる、見られることを前提とした文章においては、読点の打ち方はよほど気をつけなければならない。

 なかんずく読点の多い文章は最悪である。そうした書き手は少なくないが、極めて幼稚かつ品性の欠片も感じさせない文章をよくぞ平気で公開できるものだとむしろ感心する。

 それが小説や随筆ならば何らかの効果を狙った場合もあるだろう。しかし文章に論理性を持たせるならば、読点の打ち方には出来るかぎり注意を払わなければならないことなど中学生でも分かるというもの。論理的な文章には読点の打ち方が極めて重要なのだ。同様に、漢字と仮名の割合も大切である。

 読点の多い文章は幼稚であるがために、まったく読みづらく、イライラさせられる。よほど神経の鈍い読み手でない限りは、読む気が失せるのが通常であろう。それは、書き手が読み手を意識していない無神経の表象である。

 無神経な文章を書く者は、無意識下で次を期待しているようだ。それは、狭きオノレの器の中で肥大化した自己愛を無条件で受け入れる他者、である。だからこその無神経だろう。愛国心を強要する安倍晋三と何ら変わりがない。

 そうした者がいかに論理的な装いをまとった文章を書こうとも、主題は常に自己正当化の蒙昧的証明でしかない。でなければ、読み手を意識した文章、出来るかぎり読み易い文章を書くよう努めるもの。自分の考えを他者に伝えたいならば、だ。

 余談だが、他人の文章を丸々移して「引用」などとしているブロガーもいるらしい。それは引用ではなく、もはや「転載」ではないのか。
グーグル誤審
 日本の親方米では「陪審員が裁判中、携帯電話端末でグーグルなどインターネットの検索サイトに接続し、規則に反して担当事件の情報を入手、裁判に支障をきたすケースが相次いでいる」(20日『毎日』/魚拓)。

 ホテルで缶詰めにされた陪審員は便所へ行ったときにケータイからネットへ接続したらしい。ネット端末の発達した現代である。ナルホド考えた。

 評決に達するまで帰さないよ! 新聞やテレビはみせないもん! というソフトSMの米陪審員制度であっても、五輪選手じゃあるまいしオシッコをするところまでピタリと監視されるわけではない。スカトロはしないのだね。

 日本の裁判員制度は極めて寛容である。同記事で解説しているように帰宅よし、新聞よし、テレビよし、ネットよし、である。米と違って便所でこっそりする必要はない。

 たとえばワイドショーを観ながらおねいちゃんと合体し尚且つケータイで2ちゃんねるを利用することだって出来るんである、器用な者ならば。私ならテレビを観ながらヨロシクするまでが精一杯のところ。でもみのや小倉を見ながらおねいちゃんと愛し合うのはイヤだ。なぜ朝なのかは聞かないで。

 最高裁が「判断は法廷で示された証拠のみに基づくべし」と云ったところで、裁判員が事件情報、公判報道をネットで知り得たと告白しなければそれでお仕舞い。Q&Aサイトで「○○事件をどう思う?」と尋ねることもあるいは可能だろう。

 そもそも公判前整理手続がある。これによって証拠がどの程度まで明らかにされるかは検察の胸三寸。今ですら検察が重大な証拠をヒタ隠すことは少なくない。

 米人でなくとも他人の意見を聞いてみたくなるのは人情だろう。あるいは被害者参加制度によって遺族が裁判員の目の前でおいおい泣き出したら心情的にどうか。8割の国民が死刑制度維持、推定無罪の被告人を「殺せ」と騒ぐ国である。

 閑話休題。犯罪的無知の善良なる市民が多数を占める我が日本。死刑にしろと騒ぐクセに自ら死刑判決を出すのはイヤだという善男善女の国であれば“死刑判決を出すかも知れない私の苦悩を癒してほしい”と駆け込む先は匿名のネット社会であろう。
報復殺人の負担軽減
 どうもよく分からないのは「裁判員の負担軽減」という“お上の慈悲”である。果たして裁判とは誰のためのモノなのか。

 裁判員の負担が軽かろうが重かろうがそんなものは裁判にまったく関係ない。サクサク進行することが良い裁判だとでも云うのか。公判前整理手続然り。

 大切なのはより正確な事実認定である。が。

 裁判員判決(地裁)が高裁でひっくり返る可能性もあるのだからして裁判員は深く考えずサクッと気楽に判決を出せばよいのデス。それでよいのか?

 ひとの生き死にを決める以上裁判員は相応の負担をすべきではないのか。ひと月ほどホテルへ缶詰めにしたってよろしい。参加が義務だというのなら日当を払う必要もあるまい。いっそ裁判員を断った国民は死刑とかね。

 裁判員制度とは何か。裁判に市民感覚を、ともっともらしく謳ったところで「おまーらパンピーのことはパンピー同士で決着しろ」というある種の自己責任論が根本に鎮座する。でなければ行政裁判にも裁判員を導入して然るべきところ。

 市民感覚と云ったって8割が死刑制度に賛成している国民である。判決を待つまでもないだろう。刑事裁判の9割が有罪という恐るべき事実を鑑みれば後は死刑にするか無期にするかだけ。乱暴に云えばね。

 無罪推定、疑わしきは被告人の利益に。いやいや逮捕イコール真犯人であるのがこの国の一般常識よ。もしかしたら無罪かも、そんな素朴な市民感覚は予断と偏見に満ちたマズゴミ報道に侵食されるのが常道。あぁ河野義行は泣いてるぞ。

 被害者参加制度もある。遺族がどれほど哀しんでいるかは大きな「争点」となろう。遺族が号泣すれば死刑、歯を食いしばって涙こらえたのでは無期。だって個々人がオノレの良心に従って量刑を決めることなど日本人には到底不可能なのだからして。

 日本における死刑制度の現況は「国家による報復殺人の代理」に過ぎない。そんな世にあって、負担軽減の名のもとにロクな証拠も見せられぬまま報復殺人の手伝いをさせられるなんて、イヤだなあ。
東京大空襲
 日本人を根絶やしにしようとした米の大虐殺を水に流すお人好し国家日本。米に媚びへつらうことが国益だってさ! 鬼畜米英の勇ましさはどこに行った?

東京大空襲

 のり子のおとっつあんおっかさんが米白人だったならば、のり子が涙することなどきっと無かったろう。
死刑の判断基準
 法律、別けても刑法は本来、極めて冷徹である。運用者はそこに血を通わせるが、かといって必ずしも被害者の感情に与(くみ)するものではない。被害者感情とやらにいちいち配慮していたのでは法治国家とは云えぬ。

 東京地裁で出された江東区女性殺害事件の無期懲役判決には、岡田茂よろしく「なぜだ!」の声は多いよう。

 『毎日新聞』伊藤一郎記者は「市民が裁判員として死刑求刑に向き合った時、抽象的な項目を掲げるに過ぎない『永山基準』で判断できるかは疑問」として「明快な死刑判断基準を」と云う(19日朝刊)。

 なるほど「明快な死刑判断基準」が設けられるならば裁判員=一般市民は深く考えたり思い悩んだりすることもないだろう。たった3日で判決も出せるというもの。しかし明快な基準があるならば、そもそも裁判員制度は必要あるまい。ややもすれば裁判自体が不要となりはしまいか。

 「明快な死刑判断基準」を設けたとしよう。昨今の厳罰化を受け、殺人事件は殺害人数を問わず被告を死刑とする。これならば分かりやすい。

 ところがどうだろう、誘拐殺人や強姦殺人ならば迷うことなく死刑も選べようが、増加の一途を辿る介護疲れによる家族殺害ならばどうするのか。

 死刑制度に犯罪抑止力(というまぼろし)を期待する以上は介護殺人も死刑とすべきだが、お上の慈悲によって懲役3年、執行猶予3年という判決も実際にある。

 それとも強姦殺人なら死刑、介護殺人なら執行猶予などと“被害者の命には差があるのデス”と基準に盛り込むか。してその合理的な説明は可能か。

 そうした線引きがあるならば、誰を殺せば死刑で、誰を殺せば死刑ではないのか。あるいは遺族が涙すれば死刑なのか。涙してくれる家族のいない野宿者が殺された事件はどうするのか。

 最後に余談。裁判員が守秘義務の重圧に押しつぶされて発狂したら、死刑判決を悔やんで自殺したら、ハテ誰がどのように、その“被害者感情のオトシマエ”をつけてくれるのかしら。これも流行りの「自己責任」ですかね。
死刑から始めよう
 日本人の死刑好きは上っ面だけであることは裁判員制度の世論調査──死刑にしろと騒ぐけれども自分が被告に「お前さんは死刑ね」とは云いたくない──で証明されている。

 死刑好きの善良なる市民はマスゴミが大々的に報道した事件にしか声を上げはしないのだ。被害者がオンナ子どもであるほど声は大きくなる。遺族が死刑にしろと騒げば尚よし。

 ところが、根性のひん曲がった小憎どもに叩き殺された野宿者が被害者では誰も関心すら持たない。

 介護の疲れから逃れたいというまったくもって手前勝手な殺人には容疑者へ同情すら集まる不思議。やっぱりね、人の命には差があるんですよ。

 それを“是正”する方法がある。

 日本人の8割が「死刑大好き」もしくは「結構好き」あるいは「嫌いじゃない」のだからして、いっそあらゆる犯罪の刑罰を死刑から始めるのだ。

 つまり、殺人はもとより強姦、放火、詐偽、万引き、痴漢から立ちションに至るまでありとあらゆる犯罪行為はコレすべて死刑。いやはや、これほど「公平」な方法が他にあろうか。

 スピード違反も死刑である。タバコのポイ捨てだって死刑である。恨むならスピード違反をした、タバコのポイ捨てをした自分を恨みなさい。自分の罪を憎んでひとを憎まず。

 裁判では被告人、弁護人が酌量の余地を立証することによって死刑を懲役刑、罰金刑へとすればよい。量刑減算方式である。

 ソレでは刑務所が足りなくなる? がんがん建てたらよろしい。刑務官も足りない? どしどし募集したらよろしい。刑務所周辺地域も含めて大変な景気対策、雇用対策にもなる。

 まずは死刑、すべてはそこから始めよう。
もっとよこせ
 定額給付金の評判が悪い。ひとり1万2千円ぽっちである。

 ひと家族が1カ月食うにはまったく足りない。麻生太郎ならバーへ2回も通えば消えてなくなる。デリヘル嬢にちんぽをくわえてもらうことすら叶わぬ。その程度の額なのだ。

 米国発の大不況は100年に1度の危機と云うが、日本政府に緊張感がまったくみられないのは私の色メガネのせいか。

 100年に1度の大不況をたった1万2千円で乗り切れるものか。それでもキューバのように教育や医療にどかどか予算を注ぎ込んでいればある程度の貧困は我慢も出来よう。

 ところが小泉改革(改革だったのかね?)以降、この国の福祉政策は見るも無惨である。国民皆保険はもはや歴史上の出来事。公民の授業で「そんな時代もありました」と習う日も近いありさま。

 「生存権」は国民の権利ではなく努力目標と化す。その中にあって、1万2千円ぽっちの「還付」では今日の餓死がひと月延びるだけに過ぎないことは誰でも分かっている、はずだが。

 年3500万円(ボーナス・文書通信交通滞在費含む)も貰っているセンセイ方(税金ですぞ)は、たかが1万2千円でも国民は「おありがとうございます」と大層感謝するものと思っているらしい。うやうやしく「給付する」というのだから、しらけ鳥も南の空へ飛んでゆこうというもの。

 定額ならぬ低額給付金とはよく云ったものだが、野党や評論家は同じ2兆円を使うなら然るべき福祉へ、自治体が自由に使えるように、などと主張する。一見もっともだが、総額2兆円といっても国家規模でみれば大した金額ではない。

 還付される側の国民も随分モノわかりがよい。訳知り顔で「2兆円は必要な福祉へ」などと云う国民はあっても、「もっとよこせ」という素直な声はどこからも聞こえて来ぬ。福祉に金を使うのは定額給付金以前の当たり前の政策。

 1万2千円? バカヤロー、もっとよこせ。
War is on
 勝手に毎年恒例としているので今年も貼っとく。英語は合っているのか?

 ー☆ー

 政局にしか興味のないすべての無能政治屋どもこそ飢えてしまうがよい。泣き真似くらいしてあげる。



 ──英雄なんてどこにもいない。そこにいるのは犠牲者だけだ。

 では、どちらさまもよいお年を(⌒ω⌒)
解散の予感
任期が短いから30%しかもらえないらしいが(それでも議員分と併せて400万円超とか)、ボーナスも出たことだし、麻生は早々に解散するんではなかろうか。

そんな気がすゆ。

それとも夏のボーナスまでもらうつもりか。
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